melancholia//サイトの更新履歴兼、その時々のプレイゲーム日記、二次文章など。
--/--/-- (--) スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

スポンサー広告 |


2010/08/20 (Fri) 鬼祓師小話 / 壇と眼鏡七代

風邪薬は何故ああも人を眠らせようとするのだろう……
強制的に安静にさせる気らしい、というのは判るんですがしかしそれにしても眠い……


そんな感じのふわふわ推敲だった所為でまた後からガッカリする事が出てきそうですが、
壇主的眼鏡の話を。
雉明でもやったので、今度は壇で。
壇燈治の母について、何らかの強い思い入れというか独自設定を脳内に持っていらっしゃる方には
あまりおすすめ出来ない文章かも知れません。
オリジナルキャラクタ、というのは出来るだけ避けておりますので、そこまでアレじゃないとは、
思う、んですが、ねんのために。


拍手も色々有難う御座います!がんばります!






鬼祓師文章 『絵筆』








-----------------------------------------------





『絵筆』





筆の歩いた跡を振り返り、其処で漸く染みた色を知る。





親友、壇燈治から電話があったのは、冬休みも半ば過ぎてからの事である。
丁度二日ほど前にも七代千馗は壇の家を訪れ、どうせ手をつけていないだろうからと既に終えてある己の宿題を全て置いて帰ってきたのだが。それをさて写そうかという時に運悪く母親に見つかったのだという。
以前は全く提出さえしていなかったらしく、宿題を写すという行為ですら大きな進歩であると一度は喜ばれたそうなのだが、折角そうした有り難い友人が居るのであれば写さず教えてもらえば良かろうと彼女は言ったらしかった。
つまり。うちに来て家庭教師をせよ、というのが壇の用向きなのである。
七代としては壇に勉強を教えるのはあまり好きではないのだが、彼女の言い分が全くもって至極正しいものだったので、結局、一拍遅れでその申し出を受諾する事にした。



正午を少しずらし、七代は焼き菓子の詰め合わせを手に親友の家を訪れた。此処に来るのはまだ二度目である。
先日は壇以外誰も居なかったのだが、この日七代を迎えたのは他ならぬ壇の母親だった。その事に際し、慌てて二階の自室から降りてきたらしい息子が乱暴な言葉遣いで何やら喚いていたのだが、彼女はいとも簡単にそれをあしらい、にこりと笑って七代を招き入れてくれた。
壇燈治には妹がいるそうなので壇家のふたりの女性の為に菓子を持参したのだが、彼女はその事へひどく驚き、愚息の勉強を見てもらうのだからこういった事をするのは此方の方だと恐縮して、その後、とても喜んだ。
七代が知っているのか如何かが判らない所為だろう、彼女は曖昧に以前の壇燈治の事について触れ、こんな風に訪ねてきてくれる友人というのは本当に久し振りなのだ、と、落とした声音で語った。

以前の壇、というものを、本人や牧村久榮といった周囲の人々から度々聞く事があるのだが、その度ごとに七代は内心首を傾げている。
想像出来ないのだ。
初めて顔を合わせた時は確かに少し挑発もされたが荒れている感じはしなかったし、飛坂巴らともそれなりに関係を築けているように見えたので、もっと違っていたという壇燈治の姿が七代にはどうにも判らない。そして、七代と共に居るようになってから壇はまた変わったのだ、と周囲から言われても、それもよく判らなかった。七代にとって壇という男は最初からずっと変化してなどしていないのだが。
だから、彼女から礼を言われても、七代は戸惑うばかりだった。
礼を言われる意味が判らない。礼を言われるべき事など何もしていない。自分が壇を救ったのだとすれば、それは浸食しかけた花札を引き剥がしたあの時だけである。あれとて、任務を帯びた封札師がただ目標の物を回収したに過ぎないのに。
あの男の抱えているものをどうにかしてやろうとか、そんな風に思った事は今までに一度もなかった。ただ単に七代はしたい事をし、言いたい事を言った、それだけである。

七代がそのまま、礼を言ってもらうような事は何ひとつしていないのだと言うと、ほんの少しだけ見覚えのある笑みを浮かべながら彼女は、自分も言いたいと思ったから礼を言っただけで何も気にする必要はないのだと応えた。ああ彼女もそうなのだ、と七代はひどく腑に落ちた気になり、同じく笑ってひとつ頭を下げた。
思い遣ったところで、気遣ったところで、自分以外の人間の中に在るものなど判る筈もなく、互いに手に触れ通じ合ったような気になるのは、結局それぞれ勝手に吐かれた言葉や気持ちが偶然幸運にも作用し得た、というだけの事なのかも知れない。

そして、息子が時折話すので実は七代千馗という名の友人の事を既に知っていたのだと彼女は言い、当人を大層驚かせた。
どんな事を聞いたのかと七代がどれだけ訊ねても、彼女はただただ笑うばかりで。七代はほとほと困り果ててしまった。
困惑し切っていたところに突然、手を握られる。
あなたのようなひとがあのこのともだちでよかった、と。彼女の唇がゆっくりと動いた。ゆっくりだと思ったのは七代の気の所為だったのかも知れない。
温かい真綿で首を絞められるような、微温湯の底へ沈められたような、そんな息苦しさを感じて刹那七代は息を詰めた。吸い損なった空気が喉にわだかまる。
外面はともかく内面についてはあまり褒められるべきところがないと自覚しているだけに、彼女は一体何をしてよかった、などと言うのだろうかと、甚だ不思議で仕方がなかった。
だから七代は苦笑しようとした。
けれどそれは成功せずただ頬が小さく引き攣れただけで、七代のおもてに上ったのは単なる笑みの出来損ないだった。
彼女の指が離れても、焼印のように残された温い感触を七代はじっと眺める。
確かに。
手に残るこの温度は、壇燈治の体温にとてもよく似ていた。



二人分の茶と煎餅を盆に乗せ、部屋の扉を開けると。部屋のあるじが大層苛々した表情で此方を見遣っていた。
その様子が長らく待たされ過ぎて機嫌を損ねた犬のそれととてもよく似ていたので、七代は思わず笑ってしまった。

「何なの、その顔」

むくれた顔で壇が立ち上がり、七代の手から盆を取り上げる。

「遅いんだよ」
「、家に来るのが?」

わざととぼけてそう訊ねると壇が一層ひどい顔をした。

「上がって来んのが、だ! ……たく、ババアの長話に付き合うことァねェんだよ」
「ババアとか言うなよなあ、全く反抗期真っ盛りの小中学生じゃないんだから」
「……チ、飛坂みてェなこと言いやがる」

さっさと床に座り直した壇がもう既に煎餅を食べている。その小気味のいい音を半眼で聞きながら、七代は呆れて溜息を吐いた。

「ていうかお前……教えてもらう気あんの? ブツブツ言う前にちゃんとノートとか用意しときなさいよ」

準備する為の時間はたっぷりあったろうに、テーブルの上には盆以外のものが何も乗っていない。
指摘されてから渋々筆記道具を出し始める壇の様子に七代が肩を竦めていると、不機嫌そうな表情のまま壇が言い掛けた。

「……………………お袋、なんか余計なこと、言ってたのか?」

どうにも壇はその事が気になって仕方が無いらしい。七代は素知らぬ顔で頬杖をついた。

「余計なこと、って?」

恐らく壇は、七代の事を母親に話していた、という事実を当人に知られるのが恥ずかしいのだろう。
恥ずかしいのなら話さなければいいのに、と七代は考えている。恥ずかしいというなら、それを不意に聞かされた此方の方が余程恥ずかしいのだが。

「な、何って……………………、その、」

眼を泳がせて壇が言い淀んでいる。
鎌をかけておいて自分が引っ掛かるわけにはいかないのだから、壇には答えられる筈がない。

「ま、何でもいいじゃない、とにかくお前が一番今しなきゃなんないのは宿題で俺はそれを教えに来てんだからさ、ほら、ちゃっちゃと開始!」

沸き上がる笑いを必死に押さえ込みながら七代は、わざと消化不良を起こさせるように曖昧に会話を切り上げてやった。予想した通りそう言われた壇は、胸焼けを噛み締めるような、何とも言えない顔をしている。
照れ臭い思いをさせられた分、このくらいはしてやってもいいだろう。
七代は素知らぬ顔を決め込んだまま笑みを腹の中へ押し込めて、壇の準備が整うのをのんびりと待った。

とにかく七代としては、何より現国だけは早々に終えて欲しかったので。
まず一番に、故事成語と漢字の問題集から片付けさせる事にした。
普段からくれぐれもと壇燈治の学力方面について任される事の多い所為で、壇が宿題をしなかったり悪い点数を取ったりするたびに近頃七代は、それをまるで己の責任のように感じるようになってしまっているのである。授業中や廊下で教師たちと行き合った時などに壇が小言を受けたりしようものなら、うっかりと代わりに謝りたくなってしまう始末だった。
面倒見がいいなどという自覚はまるでないし、むしろ七代は他人の世話を焼くなどとんでもないと思っている。それなのに。この現状は一体何なのだろう。
七代は己自身の事がよく判らない。
自己の把握に関しては割合長けているつもりでいたのだが、封札師というものになって此処へ来てから、どうにも今までとは勝手が違い過ぎて面喰らう事がやたらに多かった。

「判んないとこが出てきたら言えよ、遠慮無く。スルーすんのが一番良くない事だからな」

ペンを握りながら壇が口を尖らせている。読み書きをする壇燈治、というものに強烈な違和感を覚えるのは一体何故なのだろう。これほどまでに筆記用具の似合わない男も珍しい。
早速視線を寄越してきたので、つまづいたのかと七代は問題集を覗き込もうとしたのだが、壇が口にした言葉は全く関係のないものだった。

「…………眼鏡、なんだな、今日は」

少し気を挫かれ、七代がやや眉を顰める。

「……………………コンタクトつけんのが面倒臭かったからな。お前んち行くだけだし」
「ふうん」

七代千馗は、近視である。
長らく視力検査など受けていないから正確なところは判らないのだが、以前測定した時には差された一番上の記号すらひどくぼやけて見えた。見えるのは見えるのだが、どの方向が開いているのか判らないのである。
登校する時にはほとんど使い捨てコンタクトを着けていて、ごく稀に、眼の具合が悪い時や面倒な時、買い足し忘れていた時など、そういった時にだけ眼鏡を使う。これまでに七代が眼鏡をかけて学校へ行った事は本当に数えるほどしかなかったから、珍しがられるのも無理はない、のだが。
壇の視線が眼鏡に張り付いたまま離れないので、七代は少し苦笑した。

「おかしい?これ」

壇は己が注視している事に自覚がなかったようで。言われた途端、少し慌てて眼を問題集へ戻した。

「……いや、そういうわけじゃなく、……見慣れねェなと思っただけだ」

ちょっと、七代じゃねェ感じがする

漢字を見詰めたまま壇はそう付け加えた。
時折そう言われる事があるのだが、七代にとって眼鏡をかけた己の顔というのがそもそも珍しいものではなく、もうずっと以前から見てきたものなので、そのあたりの感想があまりぴんと来なかった。
レンズ一枚でそんなにも印象が変わるものなのだろうか。
七代がぼんやりとそれを考えていると、壇が顔を上げた。

「…………………………ていうか、…………今日、悪かったな、わざわざ」

向けられる眼は真摯である。
そういえば、と七代は思う。笑っていてもふざけていても、この男が自分に向ける眼差はいつも真摯な色をしているのだった。ずっと傍らに居るというのに七代はその事を今、この瞬間まで知らなかった。まさに今その事に気がついたのである。

「今言うなよ、そういうのはまず一番初めに言う事だろ」

七代の苦笑は壇に向けてでなく、己の観察力の無さに対してである。

「いいって、もう、俺だっておかあさまの言う事が尤もだと思うから来たんだし」
「……用事とか、無かったのか?」
「無いから来たの」

本当は、羽鳥清司郎から買物を頼まれていたのだが。雉明零と白に任せて来てしまった。
買物は七代でなくても済ませる事が可能だが、壇に勉強を教えるという役目は七代以外にはなかなか難しく代わりが居ない。だから仕方がないのである。
七代は己のその決断を八割方、合理性によるものである信じていた。あの二割の正体については、知らぬわけではないのだが正面から見据えず眼を逸らしている。

「……まあ、センセイとしては、お前がきちんと宿題を自力で済ませてくれる事が恩返しってやつだからさ。俺の為にも頑張って。な」

壇燈治を籠絡するなら、ちから押しよりは泣き落としだろう。七代のその予想が当たっていたのか、壇はぎごちなくも頷いてみせた。

「……………………努力は、する」
「うん、ま、いいわそれで。とにかく努力して」
「おう」

実際、そんな簡単な方法で壇にきちんと勉強をさせられるのなら定期試験ごとに七代が苦労をする事も無いのだろうし、七代自身この返答にそこまでの過剰な期待をかけているわけではなかったのだが。それでも最初から意欲さえないという状態なのは教える方としてもつらいので、壇が頷いただけでも良しとしよう、七代はそう思った。

漢字というのは結局のところ、暗記である。
漢字が苦手だ、というのは興味が持てなくて記憶出来ない、という事なので、七代は壇が詰まるたびにちょっとした話を挟むようにした。その話が頭に残っていればそれが思い出す為の糸口になるからだ。

「なんか、すげえ漢字書けるようになった気がしてくんな」
「それは、素晴らしい、な」

生徒の単純な言に七代は苦笑しつつ。漢字の頁は終了したようなので、壇がまた解けない問いにぶつかるまでの間しばらく待機する事にした。
筆圧の強そうな音が静かな部屋に漂っている。
そういえば。壇の母親は折角の勉強に水を差すといけないので夕方過ぎまで出掛けるつもりだ、と笑っていた。兄に似ているのか如何かと少し興味のあった妹は今日も生憎と不在のようだし、成程この家にはいま壇と自分しかおらず、しかも勉強の最中だからこんなにも静かなのである。
前回来た時と然して変化のない部屋を眼球だけで見回し、七代は言い掛けた。
伝えておけと言われたわけではなかったが、言っておいた方がいいのかと思ったので。

「……………………そうそう、おかあさまだけど、邪魔んなるとアレだから夕方まで帰らないって」
「、邪魔?」

壇が顔を上げる。

「せっかくの勉強時間だから、って言ってたけど」
「、…………ああ、」

壇の返し方に何か引っ掛かりを覚えたが七代は特にそれを追及しなかった。同じく壇の勉強に水を差したくなかったから、というよりは単に面倒だった所為で。

「お前、なんかすらすら書いてるけど質問ないの?大丈夫なの?国語全般苦手なんだろ?」

それよりも其方の方が気に掛かったのでそう訊ねると、壇は呑気な風に肩を竦めた。

「接続詞を入れるんだろ?何となくしっくり来るな、ってやつを書いとけばいいよな、と思って」
「……………………合ってるといいね」

俺は割とどっちでもいいけど

そう言い掛けた壇が七代に睨まれて言葉を引っ込める。家庭教師の前で言う台詞ではない。
母親からあれほど気遣われているのだしそれに報いる程度には頑張れ、と七代の喉許まで出掛かった説教の文句を結局、飲み込んだ。
壇とてその事は重々知っているのだろうし、判っている事をわざわざ他の口から重ねて吐かれるのは不快以外のなにものでもない。折角、壇はいま何とか自力で、写さず、宿題をこなしているのである。教師役としては壇の意欲を不用意に失くす事だけは何としても避けねばならないだろう。
そして。
自分が存外、家庭教師という役を真剣にこなそうとしている事に気付き、七代はその要因を思った。
会うなり信じるに足る男だと判断した彼女の気持ちに報いる為なのだろうか。それとも己が変えたのだという壇燈治に対し、或る種の責任めいたものを感じている所為なのか。図らずも己は壇の大層内部にまで踏み込んでしまったようなので。
けれどそれは考えて出るような答えではなく。どれほど思案しても、判る筈はなかった。
それでも。
以前の自分であれば恐らく、こうして家に出向いてまで人に勉強を教えたりなどしなかったのだ。面倒だと眼を逸らし、手を離し、距離を取り、つめたい温度を保つ。それが七代千馗であった筈なのに。
いつからこうなったのだろうかとまた性懲りもなく七代は思案を始め、そうしてこれも解答のない問いなのだとややあってから気がついた。

「……そういえば、」

脳裏に蘇った笑みへつられてそう言い掛けると、七代の声に壇が視線を寄越す。手が止まってしまったので慌てて付け加えた。

「あ、いや、別に返事とかしてくれなくていいんだけど。俺さ、さっきおかあさまに、あの子に眼鏡のともだちが出来るなんて!って結構驚かれた……てのをちょっと思い出した」

言われた通りに問題集へ眼を戻しながら、壇が苦笑する。

「………………そう言われりゃ確かに珍しいのかも知れねェが、何も視力訊いてから親しくなるわけじゃねェからなあ」
「ものすごくおとこまえね!って褒められたりとか」
「…………何言ってやがんだ、お袋のやつ」
「あの子にはもったいないわね!とか、ふつつかな息子だけどあの子をしあわせにしてやってね!とか」
「…………おい」
「あ、うん、後の方のは嘘」
「ていうか、前のはマジなのかよ?」

呆れているのか腹を立てているのか慌てているのかよく判らない顔をして、ペンを握ったまま壇は脱力した。そして深く溜息を吐き、眼前の未だ白い問いへ集中しようとしている。
そうか、こうすればこの男を宿題の方へ追いやる事が出来るのかと七代は面白くそれを見遣り、他ならぬ己が今なぞった、彼女の言を思い出す。

うちのあの子にはもったいないくらいのいい子ね、七代君は

そう口にした彼女は満面の笑みを浮かべていたのだが。

「……………………もったいない、ってことは、ないと思うんだけどな」

くすぐったさに似た感触が七代の胸郭の内に沸く。ぽつりとそう呟くと、壇はじっと七代の顔を見詰めた。
己の頬へ当てられるその視線にどんな温度が灯っているのか、思索に捉われる七代は気付かずにいる。

果たして。
もったいない、と言われる程の何かを、己はしたのだろうかと七代は思うのである。
けれど、そう言った時の彼女の眼には虚飾めいたものはなかった。彼女は本心からそう言い、本心からそう思っていたようだ。子を持つ親であり、或る程度の人生経験を持つおとなの彼女がそこまでそうだと言い切るのだから、それはあの短い遣り取りだけで得た直感的な印象ではないのだろう。
そして彼女が七代千馗という名の男について何か情報を得るとすればその源は、壇燈治でしか有り得ず。
つまり、彼女が七代千馗を知り、七代千馗に興味を持ち、すんなりと好感を抱いたのは、壇からの話を聞いていた所為なのである。
実際に顔を合わせ言葉を交わした印象が全く加味されていないとも思わないが、それでも彼女が七代千馗に寄せる信の多くは、壇燈治からの刷り込みである筈なのだ。未だ壇がどういった事を話したのかは判らないが、そうである以上、少なくとも悪い内容でない事は間違いないのである。
視線が自然と己の手許へ落ち。
顔を俯かせた七代の唇から、重力へ引かれるようにして嘆息がこぼれ出る。
真摯な眼で真直ぐに見詰めてくるこの男は、本当に、本気で、そんなにも七代千馗を信じているのだろうか。七代自身には壇燈治を思い遣った記憶などないというのに。したいようにし、言いたい事を言った、それが本当に壇の琴線をそこまで握り込んでしまったのだろうか。
自覚がないだけに、七代はどうしてもそれを単なる事実として平坦にすんなりと飲み込む事が出来なかった。
壇燈治の胸に在る信頼は、好意は、一体どれほどのものなのだろう。
七代にとってそれを考える事は、本当に途方もない事だった。

「……………………壇、お前さ、」

ずれてもいない眼鏡を指で押しながら七代が呟き。そうして開き掛けた唇を閉ざす。

「…………いや、やっぱり、いい」

母に何を話したか、など。
もしも壇が正直に答えたとしても、一体どんな顔をしてそれを聞けばいいのか七代には判らなかったので。
そして、何やら思索へ耽りながら嘆息を落としている七代を見詰める壇の眼には、また大層質の異なった思惑が滲んでいたのだが、七代は自身の懊悩の為にやはり其処までは気が廻らなかった。
普段の七代であればすぐに気付いたのだろうが、答えの出ない問いは殊の外、七代の感覚を鈍らせていたので。

「……おい、せんせい、この四問目だけどよ、」

生徒の声音でふと我に返り。先生と呼ばれた七代がおもむろに説明を始める。

「ああ、…………えっと、これは、名詞に、だ、がくっついてるから形容動詞なの。活用はひとつだから覚えやすいだろ。文語形容動詞もあるけど現国では大体口語の方しか出て来ないしな」

大層壇燈治らしい筆跡でけいようどうし、と文字の綴られていくさまを眺めながら、七代はふと感じた事をそのまま口にした。

「……………………ていうかさ。せんせいって、呼ばなくていいし。なんか、お前がそう言うと、妙に不良生徒と女教師もののAVっぽくなっちゃうから」

本当に他愛のない言のつもりだったのだが。
聞いた生徒が何やらひどく固まってしまったので、その様子を見遣り、七代は少しだけ落とした言葉について後悔した。先生としては、せめて問題集を終わらせてから吐くべき台詞だったようだ。



「よ、し、終わりッ、と、」

とうとう、壇が何とか自力で現国の問題集を終え。七代はぱちぱちと乾いた拍手でもって生徒を讃えた。

「おお、やれば出来るんじゃない、良かったな、おかあさまも喜ぶよ絶対」

やらない、というのが常だったというのだから、写すのでもなく自力で完遂させたというのは確かに大した躍進である。そう言うと、壇は七代の顔を見詰めながら僅かに微笑した。

「ま、傍で教えてくれるやつが居るからな」

即ち、完遂出来たのは七代千馗が居た所為だと。壇は言っているのだろうか。
七代は投げられた言葉の意味を考え、苦笑を返す。

「………………感謝しろよ?」

口へ上る言葉は七代の本音を覆っている。
壇もその質をようく知っている、だからそうした言に然したる意味がない事は七代にも判っていた。けれど。だからといって本音をそのまま口にするわけにもいかないのである、決して。
七代にとっては、それは省いても良いような過程ではないのだ。たとえ本当に、意味がなくとも。

「してる」

対する壇は概ね素直だ。

「そう」

己が捩じれている事を重々自覚している七代にとって、壇のこうした妙な実直さは何となく憎らしい。成績の良し悪しはこうした事にはどうやら影響しないようだ。

「…………じゃあ、ちょっとだけ休憩してから、数学やろうか。俺が居る時に苦手なやつを片付けといた方が、」

視線を壇から逃しながら、七代がそう言い掛けた時。
七代の右手首が突然、壇の掌によって握られた。

「…………」

壇の分厚い手が、テーブルの上へ横たわらせていた自分の手首を上から握っている。
わけが判らず、七代はそのさまをただじっと凝視した。何なのだろうこれは。
自分の眼に映るその光景が意味するところは何なのか七代には全く判らなかったのだが、しかし、掌のあるじの表情を見遣り、そこでようやく気が付いた。

「…………」

七代の顔から視線を外さぬ壇の、その眼に灯るものは。
まさか、という驚きと、そんな馬鹿な、という呆れが同時に七代の腹から沸き上がり、しかし壇の表情に冗談めいたものが全く見られなかった所為で、焦りが後から其処へ混ざり込んだ。
それらは七代の腹の中で、泥のような色をしながら緩く渦を描いている。

「、いや、あの、いやいやちょっと、」

掴まれた手を引こうとしたのに、むしろ向こうから引っ張られてしまう。焦りに加えて僅かな怒りが沸いた。
脳内に溢れ返った言葉のうち、まずどれからぶつけてやろうかと七代が逡巡している間に、引っ張られた七代の上体が泳ぎ、壇の唇が七代のそれへ重なった。
のだが。

「、って」

壇は、どうやら間へ挟まる眼鏡の存在を全く失念していたようで。ぶつかった自分の額を撫でながら距離を離していった。それでも未だ、七代の手の方は解放されていなかったが。
唐突な壇の行為に七代はしばし茫然としていたが、何とか意地で意識を立ち直らせ、ぎごちない笑みを浮かべた。

「おい……………………、俺は、そういう事をしに来たんじゃねえよ?」

しかしそんな事は壇も重々承知しているだろう。壇は、先刻の行為がうまく成らなかった所為か不機嫌そうな顔をしている。

「……夕方まで、誰も居ねェし」
「おかあさまの言ってた邪魔しない、ってのはそういう意味じゃねえだろ」
「現国終わったし」
「あのなあ壇きゅん、あと何教科あると思ってんの?舐めてんの?」

自力で現国の問題集を終えた事は壇にとって確かにすごい事だったが、目標はそもそも出されている宿題を全てやり切る事なのである。その中のひとつを終えられたからといって安心していいわけではない。
けれど。七代の手を掴む壇の掌は緩まない。
それを感じながら、七代の身体のうちには焦りばかりが色濃く充満し始めた。
真面目に問題を解いているかと思えば。この男は一体何を考えながら宿題をこなしていたのだろう。何故唐突にこんな気を起こしているのだろう。七代には全く理解出来ない。
七代が精一杯睨んでいるというのに壇は、手を捉えているのとは逆の手で今まで使っていたテーブルを横へ押し遣った。ひらけた絨毯を眼前に、七代の焦燥が一層強くなる。

「い、や、だから、駄目だって、やらないから!」

壇が手を引こうとするのだが、七代はそれへ抵抗して己の腕を引き戻す。七代の右手を七代と壇が奪い合うような、とても奇妙な図が続いた。

「…………ちゃんと、終わったら、宿題に戻る」

壇のこぼした言に、七代が眉を顰める。

「それは当たり前なんだけど」

宿題というのは七代の宿題ではなく、壇の宿題なのである。壇がそれをするのは当たり前の事だ。

「……じゃあ、…………なんで、駄目なんだよ」

がっかりと項垂れる耳が壇の頭上に見えるようだ。
そういう顔をするのは卑怯だろう。七代は内心腹を立てながら、ひとつ溜息を吐いた。

「なんで、ってさ…………、俺はお前の宿題を終わらせる為に来たんだし。まだひとつしか終わってないし。そんな事してたら時間無くなるし」

言いながら腕の時計を見ると、十四時になったばかりだった。
夕刻まで戻らないと言っていたから確かに彼女については問題無いのだろう、しかし。とにかく宿題である。
七代は眉根を寄せて、壇は睨んだ。

「…………………………壇さあ、こんなとこは勉強しなくていいってのに最近触り方がやらしいし、結構しつこくあちこち触るし、それに絶対一回で終わらないし、抜かずにすぐ次やるし、二、三回やるし、喉嗄れるし…………終わったら疲れてどろどろんなってんのに宿題なんか出来るわけないって。だから無理。判ったか?」

すらすらと一気に言い募られた壇は、さすがに少し怯んだようだった。理由を聞いて躊躇したのではなく、恐らくは七代の言葉に忌憚が無さ過ぎた所為で。
これで、諦めてくれれば良いのだが。
そう考えていた矢先に肩を掴まれ、七代の身体は絨毯の上へ引き倒されてしまった。
強制的にぐるりと視界を回され、天井を眺めるかたちになる。七代は、言うべき言葉を失った。ゆっくりとひとつ瞬きをしてみたが己の眼に映っているのは紛れもなく天井であり、やはり七代が壇の手によって床へ倒されたのは間違いようのない事実らしかった。
この男は。
壇燈治は。一体何を考えているのだろう。この男はこんなにも愚かだっただろうか。
言葉を失ったまま床へ押し付けられた七代の視界に、壇の顔が覗く。

「……………………俺の話、聞いてた、よな?」

壇に勉強を教えている時にはよく吐く言葉なのだが。
壇は僅かに眼を細めた。
ほんの少し申し訳無さそうに。しかしその淡い謝罪は他ならぬ壇自身の行動によって裏切られているのだから、全く意味がない。そう思いながら変わらず壇を睨んでいる七代の耳許に、指が触れる。

「要するに…………一回に、すればいいんだろ?」

こういう声でそう言うのも卑怯だ。落胆した犬のような素振りをするのはやめてほしい。床から、七代が訊ね返す。

「………………………………出来んの?」
「出来る、てか、……そうする」

耳朶を撫でた指先がゆるりと移り、首筋をなぞっていた。
壇の眼に灯っているのは、早く触れたいという欲と、それから七代千馗に対しての。

「…………元々、今日だけで全部終われるとは思ってなかったけど、数学は必須として後の教科も出来るだけ進めたいから最長で一時間しかやれない」

一時間で済ませられんの?

七代がそう言うと、覗き込む壇が少し可笑しそうに苦笑した。

「……………………判った」
「くれぐれも、延長しないように。涙出過ぎて眼赤くなるし喉嗄れるからしつこくしないように。盛り上がって我を忘れて俺の服を汚さないように。もし万が一誰かが戻ったら即終了。で、終わったらだらだらせずにちゃんと宿題を、」

念を押し続ける七代の眼鏡を、壇は一旦外し掛けて。それからやはり、と元に戻した。

「……お前、それ無いと、全然見えねェんだよな?」
「見えないね」
「じゃあ、そのままにしとくか……ちょっと邪魔だが、ま、珍しいしな」

うまく顔を倒して、唇を合わせる。先刻のように壇が七代の眼鏡と衝突する事はなかった。

「めずら、」

珍しさが性行為にどう関係するのだ。
そう言おうとした七代の言葉が、再び合わせられた壇の唇によって遮断される。七代の脇腹を下へ向かって撫でながら、壇がとても近いところで淡く笑んだ。

「……………………時間、惜しいから。な、センセイ」
「だ、から、それ、やめろって、」

七代は抗議をしたが、壇は笑って取り合わず。首筋の皮膚を吸いながら、七代の下肢を揉み込んだ。急激な刺激に七代の呼吸がひくりと詰まる。
成程、壇の所作は常よりも性急だが、それは時間を厳守する為なのか、それとも単に欲を抑えきれない所為なのか。どちらにせよその性急さに引っ張られ、七代自身の思考も早々に散らかされていくようだった。身体に灯る欲の温度が壇につられて上がり、有無を言わせぬ性感の熱が脳を浸食する。
熱に溺れるような息苦しさを感じながら、その片隅で七代は考えた。


けれど。
壇は承諾の言葉を口にしたけれど実際、七代の提示した条件の幾つかは、性感の波に押されて恐らく守られないのだろう。
七代はそれを知っていた。
知っていてなお、是と、許したのである。
これほど己を欲す壇燈治に何とか応えてやりたいと、応えなければと、あの眼を見た時に一瞬、七代はそう思ってしまったので。
だから、彼女から寄せられた信頼の為にも宿題を出来るだけ片付けておこうと考えていたにも関わらず、その為の貴重な時間を割いてまで七代は承諾してしまったのだ。彼女の信よりも宿題よりも何よりも、壇の求める熱を優先させてしまったのだ。
否、それは七代自身の胸に在るものと合致した所為だったのだろうか。己の中に果たしてそれは在ったのか。七代には判らない。

しかし、ほとほと甘い、甘過ぎる

七代は、自身の甘さに呆れ返った。
七代千馗とは、こんなにも流されやすい男だっただろうか。これほど他者を甘やかすような男だったろうか。決して、そうではなかった筈なのだが。

いつからこんな感じになっちゃったのかなあ、俺は

胸中にて深く嘆息し、苦く笑う。

嗚呼。
何も変化は、壇燈治のみに訪れたわけではなかったのだ、と。
七代の上にも同じく、それはまた。
七代はようやく、答えのひとつを得た。



「お前……、終わったら、俺の事をどういう風に話してたのか、教えてもらう、からな」

壇の下で七代がそう言うと。
壇はびくりと肩を震わせて停止し、それから聞こえぬ振りを決め込んだ。
しかし七代には逃がしてやるつもりなど毛頭無い。これくらい暴いてやらなければ、蓄積された溜飲は下がらないのだ。
果たして壇はどんな顔をしてそれを語るのだろうか、そうして己はどんな顔をしてそれを聞くのか。
想像してみたものの全く予測する事は出来ず、七代は何だか愉快な気持ちになった。




じわりと、気付けば此方にも染みていた、混じり合うその色彩をじっと見遣る。

混色のなされたそれはしかし決して、わるくはない。

















-----------------------------------------------------------



寝台があるのにわざわざ床で開始する壇燈治…










スポンサーサイト

鬼祓師小話 | comment(0) |


<<頑張るだじ | TOP | 指その後>>

comment











管理人のみ閲覧OK


| TOP |

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。